2022
27
Oct

百合小説

創作百合小説チート主人公ファンタジー「魔王の飼い犬」24


ハイエナ設定使用のオリジナルの百合小説です。
Kindleから出版している『ネコサマ魔王とタチワンコ』の続編で、第二十三話の続きになります。

第二十三話までのあらすじは以下のような感じです。

ランピャン遠征から帰還したシシィは、イラヴァール到着直後フューリに拉致される。一足先に帰還していたフューリは、シシィ帰還前にオルナダから単身の任務を言い渡されていた。しかし遠征中、寂しすぎて死にかけた経験をしたフューリは、そんなのに行かされたら今度こそ死んでしまうと、シシィに回避策がないかと相談する。シシィはティクトレアやヒーゼリオフに何とかさせようと考え、二人に連絡を取り、相談の結果、とりあえず話を効くという名目でデートをセッティングすることになった。

【登場人物一覧】
フューリ:元狩人でオルナダの飼い犬。人狼とヒューマーのハーフ。
オルナダ:イラヴァールの国王的魔族。
シシィ:フューリの友人のヒューマー。
ガーティレイ:調査パーティメンバーのオーガ。
ルゥ:調査パーティメンバーの人兎。
ヴィオレッタ:調査パーティメンバーのダークエルフ。
キャサリーヌ:調査パーティの指導教官。オーガとエルフのハーフ。
ティクトレア:イラヴァール大臣的魔族。
ヒーゼリオフ:ランピャンのダンジョンマスターをしている魔族。
ケイシイ:ティクトレアの飼い犬をしているエルフ。
ユミエール:オルナダの右腕的エルフ。
ブゥプ:ユミエールの部下の人兎。

以下二十四話です。


【フューリ 十八】

シシィからの連絡はその日のうちに来た。なんでも相談しに行ったら、「解決策は色々あるけど、どれが良いかは本人と話し合ったほうが良さそうね」と言われたそうで、二日後の今日に面談の予定を取り付けてくれた。
僕がオルナダ様の飼い犬だからということもあるんだろうけど、こんな他人から見ればくだらないだろう問題に、魔族である二人が時間を割いてくれるなんて、シシィは相当、交渉を頑張ってくれたに違いない。それに、わざわざ時間を割いてくれる二人も、なんて良い人たちなんだろう。
ありがたさに胸をじんとさせつつ、僕はイラヴァール南側地区の繁華街付近にある大きな広場で、ヒーゼリオフの姿を探した。中央に噴水が設置された広場は、周囲をぐるりと植木に囲まれているせいか、砂埃が少なく、空気に若干の潤いがある過ごしやすい場所だ。所々に市場に並んでいるような屋台が立ち、軽食や旅行者向けのお土産を売っている。ちょうど昼時なせいか、食べ物の屋台に列ができ、木陰の芝生でサンドイッチにかぶりつく人々の姿が目立つ。七割ほどは旅行者か私服の市民で、残りの三割は僕と同じ制服を着た市民だった。
ふんふんと鼻を鳴らして空気を吸い込む。人の匂いと食べ物の匂いはたくさんするけど、ヒーゼリオフの匂いはない。まだ来ていないみたいだ。付近にいそうな感じでもない。転移でランピャンから直接飛んでくるんだろう。とりあえず遅刻はしていないなと胸を撫で下ろすと、辺りを漂う焼いた肉や小麦の匂いに急激に食欲が刺激され、付近の屋台に目を奪われる。
市場の屋台は調理した食品を山盛りに並べて売っているところが多いけど、ここの屋台は食堂のように、注文を受けてから作って売っているところが多いみたいだ。並べている食材をパンに挟んで渡したり、焼き直したり、揚げ直したり、盛り付けたあとにトッピングを加えたりしている。フルーツの屋台に至っては、なぜかそのまま渡さずに、魔法でぎゅっと押しつぶして、出てきた水分だけを器に入れて渡している。そこかしこで列ができているのはそのためだろう。なんにしても、どれも美味しそうだ。
シシィに「飯でも食いながらってことだから、昼食わないで行けよ」と言われて、昼食がまだだった僕のお腹は、空腹を訴えるように、ぎゅお~ぐぉう~と悲鳴を上げる。ぐいぐいと手のひらでお腹を押し込みつつ、噴水の縁に腰を下ろすと、ふっと鼻先に濃厚な魔力が香った。
「さ、先に着いてるってのは良い心がけね。べ、別に褒めてないけど」
隣にそっぽを向いたヒーゼリオフが座っていた。いつも着ている赤い詰め襟の服に似た、金ピカの刺繍が入った黒い服を着て、花を模った髪飾りをつけている。
「い、今さっき着いたところです。あのぅ、えぇと、今日のお召し物はいつもと感じが違いますね」
「な、なによ。文句でもあるの?」
「い、いえ、素敵だなと……」
ヒーゼリオフはそっぽを向いたまま動かない。やっぱりこんなことで煩わせてしまったことを、不愉快に思っているんだろう。シシィに「合流したらとりあえず服でも褒めとけ」と言われたのは、せめて機嫌を取れということだったのかもしれない。なのに早速失敗してしまった。
このあとどうすればいいんだろう? 僕はすっかり、おろおろしてしまう。次の言葉を探し出せずにいると、ヒーゼリオフがくるりとこちらを向いて、顔を引き攣らせた。まだなにか失礼があったかと、思わず身を竦めてしまう。
「ア、アンタだって、今日はいつもと違うじゃない……。ど、ど、どうしたのよ……」
「え? あ……。こ、これは陛下や閣下と二人で会うなら、服くらい盛れって言われて……。変ですか……?」
言われて思わず、頭の上の帽子をぎゅっと押さえた。耳を出す穴のついた獣人用の大きな制帽がすとんと目元の辺りまで落っこちて視界を塞ぐ。
今日の僕は普段着ている初期状態の制服に、オプションでつけられる制帽と飾緒、マントをくっつけた格好をしていた。ベルトも派手な装飾の入ったモノに変えている。おかげで就任式ほどではないけど、それでもいつもの制服に比べたら、だいぶゴテゴテだ。オルナダ様がつけているなら素直にカッコイイと思うけど、自分で着るにはどうにも悪目立ちしそうで落ち着かない。
「えと……、お気に触るようでしたら、外しますが……」
「ダ、ダメ! そのままでいなさい! ア、アンタの着替えなんかに、時間取られちゃたまんないわ!」
「そ、それもそうですよね……。あの、次にお会いするときは普通の制服にしますので……」
「は? な、なんでよ。次もそれで良いわ!」
「え? そうですか? わ、わかりました……」
どうやら服装に失礼があったわけではないようだ。僕は帽子を被り直して、だったらなにがマズかったんだろうかと、首をひねると、お腹が再び大きな音を立てた。
「ぷふふ。なに? そんなにお腹減ってるの?」
「あ、あはは……。ここ、あちこちから美味しそうな匂いがするので……。すみません……」
「べ、別に謝ることないでしょ。ヒ、ヒー様もなにか食べたい気分だから、さっさと美味しい屋台にでも案内しなさい!」
僕がお腹をさすると、ヒーゼリオフはぴょんと立ち上がり、腰に手を当てて僕の前に立った。
「あぁ~……。えぇと、すみません……。僕、あまり外でご飯食べなくて、その……」
「はぁ? アンタ、ランピャンでは買い食いしまくってたじゃない!」
「ラ、ランピャンでは誰も僕のことを知らなかったので……。でもイラヴァールだとドコに行っても殿下殿下ってなって、その、いたたまれないというか、人目に付きたくないというか、話しかけられたくないというか……」
「むぅ~~~。まぁ、わからなくはないけど……。ここはこの辺の貿易の中心で、世界各国の料理が楽しめるのに、そんなことで遠慮してたらもったいなくない? アンタ、食いしん坊でしょ?」
「はい……」
ヒーゼリオフの言う通り、僕の半分はオルナダ様欲、もう半分は食欲でできている。世界各国の料理が楽しめるというのは初耳だったけど、そこかしこから美味しいものの匂いが漂ってくるイラヴァールで、外食を控えるというのは、なかなかの拷問だった。だから僕はいつも寮の部屋か、裏の小屋に引き籠もって、用がない限りは街に出ないし、市場に行っても必要な物を取ったら長居せずに帰るのが習慣になっていた。
「まったく、しょうがないわね。このヒーゼリオフ様がイラヴァールでの遊び方ってモンを教えてあげるわ。ヒー様と一緒ならアンタはおまけ扱いになるしね。ついてきなさい」
「は、はい!」
ふんと鼻を鳴らしたヒーゼリオフが先に立って歩きだしたので、僕は大人しくあとに着いていくことにした。石畳が敷かれた大きな通りを歩いて広場の中央を離れ、外周へと向かう。
通りの両脇には、ところどころに変わった服を着た人々が立っていて、旅行者らしき人たちを呼び込んでは芸を披露していた。故郷でも酔っ払いが歌や踊りを披露して小銭を集めているのを見たことがあるけど、ここで披露されている芸は人形や動物を自在に操ってみせるものだったり、魔法で火や氷を色々な形に変えて見せるものだったり、道具を自在に操って見せたり、あるいはピクリとも動かなかったりと多種多様だった。
人々の間を足早に抜けていくヒーゼリオフのあとを追いながらも、僕は初めて見る不思議な芸についつい目を奪われてしまう。
「なによ。大道芸も初めてなの?」
「あ、はい。なんだか不思議な場所ですね」
「見たいのがあるなら寄っても良いけど、アンタやヒー様はそれなりの額を払わないと、格好が付かないから高く付くわよ」
「へ? あ、えと、全然見なくても大丈夫です。お腹空いてますし……」
人混みを抜けたところでヒーゼリオフが僕を振り返ったので、お腹の前で両手を振って遠慮した。本当は弦楽器を鳴らす人の横で太鼓を叩く犬が見たかったけど、口ぶりからヒーゼリオフは興味がないようだし、付き合わせるわけにもいかない。僕が断ると、ヒーゼリオフは再び前を向いて歩き出し、やがて馬車の幌を改造したような車輪のついた屋台の前で立ち止まった。
真っ赤な布製の屋根の下には、野菜やパンを山盛りに乗せた皿がいくつも並んで、揚げ物も出しているのか油の匂いがする。屋台の前には長蛇の列ができていて、人気店であることが窺えた。制服の人間が少ないから、たぶん旅行者向けの店なんだろう。ひょっとすると価格が旅行者向けなのかもしれないと思って、値札をチェックしたけど、市場と比べても法外に高いというわけではなかった。
「これはファラフェルサンドって言って、ここから南のキャスドラム地方の料理よ。アンタはレゼリ山岳地帯の出身だから食べたことないんじゃない?」
「は、はい……。見るのも初めてです」
「じゃ、ここにしましょ」
ヒーゼリオフはちょこんと列の後ろに並んで、くいくいと手招きをする。言われるままに僕が後ろに並ぶと、ヒーゼリオフの前に並んでいたドワーフが、ちらりとこちらを見て「ヒ、ヒーゼリオフ陛下であらせられますかも!?」と声を上げた。前に並んでいた人々や、通行人が一斉にこちらを振り向きどよめきだす。屋台の店主らしき小柄なオーガに至っては、商売そっちのけで通りに出てきて、姿を確認しに来る始末だ。
危害を加えられることはないのだろうけど、経験からこういう状況に危機感を感じてしまう僕は、しっぽを巻きつつ、ヒーゼリオフを背後に庇かばった。制服を着た市民や店主は僕の姿を見ると、それ以上近付いては来なかったけど、旅行者らしき人々は続々と周囲に集まって、ヒーゼリオフに恭しく挨拶をしては〝食事〟に誘う。
「はいはい、集まるんじゃないわよ、アンタたち。悪いけど昼食はもう済ませたし、今日は日帰りの予定よ。散った散った!」
ヒーゼリオフは手慣れた様子で、しっしと人集りを追い払う。人々は残念そうに肩を落として、再び列に並んだり、歩きだしたりする。すると店主がここぞとばかりに寄ってきて「どうぞ先頭へ」と、手のひらを上に向けて移動を促そうとした。先に並んでいた人々も同じように「どうぞどうぞ」と道を開ける。僕は言われた通り進んだほうが良いのかと、後ろを振り返るけど、ヒーゼリオフはやれやれといった様子で、
「魔族は横入りなんて、品のない真似はしないの、わかってるでしょ? さっさと平常運転に戻りなさい」
と肩を竦めて、またしっしと手を払った。
言われた店主と並んでいた人々は、直ちに列を元に戻して、せかせかと注文をしては足早に去っていく。ヒーゼリオフがゆっくりで良いと告げると、若干せかせか具合は落ち着いたけど、それでも最初ののんびりとした雰囲気はなくなっていた。
「まったく。魔王の肩書きは便利だけど、こういうときは鬱陶しいのよね」
「こういうこと、よくあるんですか?」
「日常茶飯事よ。てか、オルだってそうでしょ?」
「いえ、オルナダ様とは一緒に食事に行っても順番を譲られたりとかは……。〝食事〟のお誘いは所構わずされますけど……」
「それはイラヴァールでの話でしょ? ほかの都市や国では違うと思うわよ」
そういえばランピャンで一度、街の食堂に入ったとき、オルナダ様が慌てて駆け寄ってきた店員が話し始める前に、特別なことはしなくていいから普通に食事をさせてほしいと言っていた。あれはこういうことだったのかもしれない。魔王って大変なんだな、と少しだけ気の毒に思いつつ、僕は列が進むのを待った。
程なくして僕らの前にあった行列はすっかりなくなって、山盛りの具材が乗った大皿が目の前に現れる。店主の説明によると、皿の中身はそれぞれ、揚げたナス、人参のマリネ、酢漬けのキャベツ、きゅうり、トマト、パセリのサラダ、青唐辛子、豆のペースト、大小様々なサイズのパンで、皿の横の壺には油漬けのスパイスと、ごまのソースが入っているそうだ。前に並んでいた人とのやり取りを見るに、袋状のパンの中に好きな具材とソースを詰め込んで食べるらしい。
「苦手な具材がなければ、全入れしますがいかがいたしましょう?」
「ヒー様は全入れに、唐辛子とスパイスたっぷり。サイズは一番小さいのね」
「へい。殿下はどうなさいますか?」
「えと、じゃあ、陛下と同じで……。サイズはこの三番目に大きいのでお願いします」
ヒーゼリオフと僕がそれぞれ自分の握りこぶしサイズのパンを指差すと、店主は「毎度あり」と威勢の良い声を上げて、油の入った釜に浮いた鶏卵の卵黄くらいの大きさの球体をザルで掬って大皿の横のザルに移した。こんがり茶色く揚がったばかりのその球体に小さい串を刺し「お待ちの間にどうぞ」と手渡してくれる。お礼を言って受け取ると指先にじんわり熱を感じる。すぐに口に入れたら火傷しそうだ。
「なに? アンタ猫舌なの?」
僕が必死にふーふーと息を吹きかける横で、ヒーゼリオフは平然と球体を口に入れ、じゃくじゃくと音をさせて咀嚼している。熱くないのかと尋ねると「熱々が美味しいんじゃない」という言葉と一緒に湯気が上る。冬とはいえ日中はそれなりに気温の高いイラヴァールで湯気が出るということは、そうとうな高温のはずだ。きっと魔法で口の中を保護してるんだろうけど、そんな芸当を持ち合わせない僕は、見ているだけで舌がヒリヒリした。
「真ん中は冷めにくいんで、ふーふーするなら割ったほうが良いかもしれませんよ、殿下」
店主に言われて球体を半分に割ると、中心部からほわっと湯気が立った。球体の中身は緑色をしていて、所々に香草の欠片が入っていた。熱さを警戒しながら端っこを齧ると、サクッとした食感と、様々な香草やスパイスの香りが口内に広がる。肉は使っていなそうだけど、ボリューム感のある食べ物だった。ほくほくとしているので、たぶん潰した芋か豆を丸めて揚げているんだろう。揚げモノを食べるのが初めてだった僕は、油で揚げた食べ物はこんなに美味しいのか! と舌の根っこが痺れた。
「ほい、お待ちどーさまです」
試食にもらった球体を平らげると、ちょうど僕の分が出来上がったようで、店主が零れ落ちそうなほど具を詰め込んだ袋状のパンを、ニ辺が止めた四角い紙に挟んで僕に手渡してくれた。ヒーゼリオフに倣ってスパイス多めにしたため、真っ赤な油漬けスパイスがたっぷりと乗っている。
紙なんて高価な物をこんなことに使って良いのか? と思ったけど、そういえばランピャンでも一度、パンのような食べ物が紙に包まれて出てきたことがあったから、魔導圏では料理を紙に包むのは一般的なことなのかもしれない。あのときは紙っぽい食べ物かと思って食べてしまったけど、やっぱり紙だったみたいだなと、僕はちょっぴりしょっぱいような気持ちになった。
だけど今更そんなことを気にしても仕方がないので、僕は気を取り直してサンドイッチにかぶりつく。
サンドイッチに詰め込まれた球体は、ちょうどいい温度になっていて、冷まさなくてもバクバク食べられた。単体でも美味しい球体に、同じく単体でも美味しように調理されただろう野菜と、濃厚で酸味のあるソースが合わさって、複雑だけど見事に調和した味わいになっている。球体だけだと食べたときに少し口が乾く感じがあったけど、ソースと野菜があることですぐに潤いが戻る。食感も球体のザクザク感と野菜のシャキシャキ感が相乗効果を生んで、音まで美味しい感じがした。スパイスと唐辛子も良いアクセントになっていて、あっという間になくなってしまった。
「早っ……。もうちょっと味わって食べなさいよ……」
「え? あ……。す、すみません、美味しくてつい……」
「いやぁ、良い食いっぷりですね、殿下!」
先に食べ始めたヒーゼリオフが半分も食べないうちに完食してしまい、ヒーゼリオフには呆れられ、店主には笑われてしまった。僕は任務の件を相談しながら食べるつもりで、小さめのサイズを選んだことを後悔する。
「ま、気に入ったんなら良かったけど。ファラフェルの屋台はあちこちにあるから、次は中央の市場ででも食べたら良いわ」
「いやいや、陛下。ファラフェルならウチがイラヴァール一ですよ。デートのときも、デートじゃないときも、ぜひまた食べにいらしてください」
「べ、別にデートってわけじゃ……! ま、まぁ、フューはデートの相手なんていないだろうから、そういうことにしてあげても良いけど!」
「だっはっはっ! 就任式じゃあ奥手って話でしたが、まさかヒーゼリオフ陛下を引っ掛けるなんて、さすがはオルナダ様の飼い犬ですね!」
「え? そ、そうですか? え、えへへ……」
「ちょ……! それじゃヒー様が引っかかったみたいじゃない! 逆でしょ、逆!」
「がっはっはっ! これは失礼!」
ヒーゼリオフが眉を吊り上げると、店主は豪快に笑った。オーガはみんなガーティレイみたいな感じなのかと思っていたけど、ここの店主は人懐っこい感じの人のようだ。意味はよくわからないけれど「さすがはオルナダ様の飼い犬」なんて褒めてくれたし、また食べに来ても良いかもしれない。
やがてヒーゼリオフがサンドイッチを食べ終わり、僕らは場所を移動した。食べ終わったあとの紙は、スライムでなく道端に置かれたゴミ箱に捨てた。ゴミ箱に捨てるということは、再利用されるということだから、高価ではなくとも資源としてはそれなりに貴重なんだろうと、僕はどことなく安心感を覚えた。
「で? どうだった? 肉は使われてないけど、結構イケるもんでしょ?」
気を取り直して任務の件を切り出そうとタイミングを窺っていると、ヒーゼリオフがニコリと振り返り僕を見上げた。
「は、はい。とっても美味しかったです。油で揚げた食べ物って、あんなに美味しくなるんですね」
「そういえばランピャンに来たときは、ああいう感じの揚げ物出さなかったわね。今度来ることがあったらなにかご馳走してあげるわ。ちなみにさっき食べた丸いのがファラフェルよ。クロケットみたいなものだけど、肉とソースじゃなく、豆を素揚げにしてるの」
「わぁ。それも美味しそうです。陛下は美味しいものに詳しいんですね」
「ま、まぁね。つ、次はアンタが通いやすそうな、中央地区を案内したげるわ。まだ満腹じゃないでしょ?」
「はい!」
ヒーゼリオフは先に立って歩き、僕に中央地区を案内してくれた。本来なら市民である僕が案内をするべきなのだろうけれど、ほとんど外出しない僕と、ちょくちょくイラヴァールに遊びに来ているヒーゼリオフとでは、ヒーゼリオフのほうが断然、街に詳しかった。ひょいひょいと地区間の城壁を飛び越え、建物の上を走って中央地区へ近道すると、揚げ物の屋台を中心に市場を回ってくれた。
市場では、揚げて塩とスパイスを振った細切りの芋や、ハーブやスパイスを混ぜ込んだ小麦粉をまぶして揚げた鶏肉、ヒーゼリオフがクロケットと呼んでいた、粘度の高いホワイトシチューのようなものに、すりおろしたパンの粉をつけて揚げた食べ物、練った小麦粉を揚げて砂糖をまぶしたお菓子などなど、色々な揚げ物が売られていた。油もスパイスも高価なヒューマー圏では考えられないような食べ物ばかり。おまけにどれも踊りだしたくなるほど美味しいから、僕は始終、驚きっぱなしだった。
「ほへほほひひひへふへ、へひは!」
「喋るか食べるか、どっちかにしなさいよ。ていうか、よく揚げ物ばかり、そんなに食べられるわね……」
「むしゃむしゃごくん。僕、美味しいモノは、いくらでも食べられるので!」
僕がベーコンの塊を揚げたような料理を飲み込むと、ヒーゼリオフは「それに至ってはそういう食べ方をするものでもないんだけど?」と呆れた顔で笑った。本当は刻んで野菜と一緒に炒めたものが売られていたのだけど、僕は揚げ肉の塊だけを売ってもらって食べたのだから、呆れられても仕方ない。でもどうしても塊のままバリバリ食べてみたかったし、実際、脂がじゅわっとしてジューシーで、カリカリに揚がった皮がザクザクとしていて美味しかった。
「なんか油物ばっか見すぎて胸焼けしてきたわ。サッパリしたものがほしくなったから、休憩がてら舞台でも冷やかしに行きましょ」
再び歩きだしたヒーゼリオフについていくと、市場から少し行ったところにある広場に着いた。そこは南側地区にあった広場に比べると遥かに小さく、緑も少なく、空気も市内のあらゆる場所と同等に乾燥していた。なぜか二、三十メイタルほど上空に、黒い布が浮いている。ヒーゼリオフは黒い布の作る影のある方向へと真っ直ぐ歩いて行った。
影がある部分は地面が凹んでいて、すり鉢を半分にしたような形になっていた。すり鉢の底の部分が舞台になっていて、周囲は階段状の客席になっている。極拳の塔のてっぺんにあった闘技場を小さくして、半分に割ったような感じだ。舞台の中央ではお芝居が上演されているのか、歴史小説の挿絵にあるような衣装を着た人物が数名立っていて、何事かを言い争っていた。客席には市民らしき観客がまばらに座って、座席間の通路を歩く人猫の物売りを呼び止めては、宙に浮かせた白い塊をちぎって口に運んでいた。
あの白いのはなんだろうと眺めていると、ヒーゼリオフが適当に空いた席に座ったので、僕も隣に腰を下ろした。すると物売りが新しいお客が現れたことを目敏く発見し、足早にこちらに向かってきて、ヒーゼリオフを見て目を丸くした。
「こ、これは、ヒーゼリオフ陛下に殿下まで……! こんにゃ粗末にゃ劇場へおいでにゃんて、どうされたんですかにゃ? まだ面白いところはやりませんにょ?」
「近くまで来たから、それを食べに寄っただけよ。これだけもらうわね」
「にゃにゃ! まいどありですにゃ! 殿下はどうされますかにゃ?」
ヒーゼリオフが魔法で白い塊の一部を丸く掬い取ると、人猫はくるんと僕のほうへ首を回す。
「へ? あ、えぇと、どう……?」
人猫の背中としっぽを「小さくてふわふわでカワイイな」見つめていたところに視線を向けられた僕は、慌てて宙に浮かぶ白い塊に顔を向けて、両手をわたわたとさせてしまう。
「操作魔法は使えるんでしょ? 食べたい分だけ取ったら良いわ。ジェラートっていう氷菓で、甘くて冷たくて、サッパリするわよ」
「ちにゃみに今日はレモン味にゃので、ますますサッパリですにゃ! 操作魔法が苦手にゃら紙皿とスプーンもあるですにょ!」
「じ、じゃあ、これだけいただきます……」
説明を聞く限りは美味しそうだったので、僕は自分の握りこぶし程度のジェラートを塊から取り出した。口元まで浮かせてきたジェラートに、がぶりと齧りつくと、甘さとレモンの風味と猛烈な冷たさが口いっぱいに広がった。思わず飲み込むと、こめかみにツーンとした痛みが走り、僕は思わず両手で頭を抑えた。
「ぶふっ……! い、一気に半分も食べるから……、ぷふふ……」
「にゃふふふふふ……っ。で、殿下は食いしん坊さんにゃんですにゃ……。にふふ……」
「うぐぐ……」
頭痛に苦しみつつ顔を上げると、ヒーゼリオフと人猫がほっぺたを膨らませて笑いを堪えていた。
思わぬ事態に驚かされたけど、それでもジェラートというお菓子は美味しかったので、僕は追加でさっきの倍の量を塊から取り出して人猫を見送り、舞台の鑑賞に移った。
お芝居の内容は、地下から掘り出された魔族が、行く先々で事件を解決するという救済モノで、魔導圏では好んで開催される演目なのだそうだ。魔族が寿命のない種族であるためか、ストーリーが異様に長く、場合によっては何ヶ月もかけて上演されることもあるらしい。今やっているのは序盤の、地下資源を巡ってドワーフの国同士が争っている部分で、肝心の魔族はしばらく登場しないという。客席に人が少ないのもそのためなんだろう。だけど故郷のお祭りで子供がやっているお芝居しか見たことがない僕には、〝面白いところ〟ではない今の場面も十二分に面白かった。
「ちょっと、冷やさないと溶けるわよ」
夢中になって見ていると、ヒーゼリオフが表面が溶けかけた僕のジェラートを再び凍らせてくれた。当たり前だけど、ただ浮かせているだけだと溶けていくらしい。
「まだ見てくなら、少しちょうだい」
「は、はい。もちろんどうぞ。…………あの、ひょっとして陛下、退屈されてます……?」
「うーん、退屈っていうか、この演目って、魔族がしょうもないことで褒め称えられるだけの話だから、こう、なんていうかむず痒いのよ。アンタだって、ただ歩いただけで崇められて、その話をお芝居にまでされたらビミョーな気持ちになるでしょ?」
「そ、それは確かに嫌かもです……。えぇと、そしたらもう行きましょうか。僕はいつでも見に来れると思うので」
「なによ、気使ってんの? 別に見たいなら見ていっても良いのよ?」
「いえ……。あの、ご相談したいこともありますし、このくらいで……」
「あぁ、そういえばそうだったわね。じゃあ、それ食べながら移動しましょ」
僕がようやっと本題について切り出すと、ヒーゼリオフは思い出したような顔をして席を立った。市場に戻ってフルーツの水分が入った紙の器を二つ買うと、「あそこにしましょ」と中央地区の鐘塔のてっぺんを指差した。魔法で自分と僕の身体を浮かせて、鐘の下がった小部屋まで、ひとっ飛びに移動した。中央地区で一番高い建物だけあって、小部屋からはイラヴァール全体が一望できた。所狭しと並んだ四角い屋根たちが、傾きかけた陽に染まり赤みを増していく。
「で? 任務をサボりたいから、言い訳を考えてほしいんだっけ?」
ヒーゼリオフは麦わらで紙の容器から水分を吸いつつ、僕に同じ容器を渡してくれた。
「そ、そうですね。行かなくて済む方法か、任務自体がなくなる方法があったらと……」
「アンタ、ランピャンでも死にかけてたもんね……」
「そ、そういえば、オルナダ様から聞いたのですが、料理対決のとき、陛下がオルナダ様を呼んでくださったそうですね。あれがなかったら僕、今ここにいなかったかもなので、本当にありがとうございました!」
僕が深々と頭を下げると、ヒーゼリオフは「たまたま用があって呼んだだけで、アンタのためじゃないし!」とそっぽを向く。
「それでも僕にはありがたいことでしたから……。今日もわざわざ時間を割いていただいていますし……。その、なにかお礼ができたら良いんですけど、僕が差し上げられる物なんて狩りの獲物か、その加工品くらいで……。そういうのって、やっぱり魔王みたいな身分の方に差し上げるには不適切でしょうか……?」
「べ、別にアンタのお礼なんていらないし! ま、まぁ、不適切ってことはないから、もらってあげないこともないけど……」
「ほ、本当ですか? じゃあ持って来ますね!」
僕は腰のポーチにあった転移ロープで小屋に移動し、いくつか贈り物になり得そうな物を持って鐘塔へ戻った。
「ええと、まずこれが故郷近くの山に出る猪のハムとベーコンで、こっちが同じ山で取れる蜂蜜から作ったミード、これは熊の胆嚢で、あとは骨や牙を加工した小物です」
床に片膝をついて浮かせた品の説明をすると、ヒーゼリオフはそれらをマジマジと見つめて眉を顰めた。やっぱり不適切だったかなと耳を寝かせつつ返答を待つと、ヒーゼリオフが「確認だけど」と口を開く。
「その猪って枝分かれした角があって、デカイ牙が山ほど生えた、アンタの三倍くらいのサイズの、黒毛の猪?」
「へ? はい……」
恐々答えると、ほかの品々についても同様に詳細を聞かれた。まさか食べちゃいけない動物だったんだろうか? 質問に答えるほど嫌な汗が滲んで、しっぽが脚の間に入り込む。
ヒーゼリオフは一通りの確認を終えると、眉間を指で抑えて、
「これ、全部でいくらになると思ってんの?」
とため息を吐いた。
食べちゃいけないというわけではなく、あまりに粗末で話にならないということだろう。怒られる系でなかったことには安心したけど、気に入ってもらえなかったのは残念だ。手持ちの中では一番の品々だったので、これらが魔導圏ではため息を吐かれるほど価値のない物なのかと思うと、耳がぺしょんとなってしまう。
「えと……、お気に召さなければ、またの機会にご所望の魔物を狩るとか……」
「じゃなくて! あぁもう、アンタこれ、ちょっとステボで鑑定してみなさいよ!」
「えぇ……? はぁ、じゃあ、コマンド、鑑定」
僕は萎れる耳を頑張って立てつつ、ヒーゼリオフが指差したハムの鑑定を行った。
『大牙山猪製生ハム原木。品目、食品。品質ランクS。推定熟成度三年。チーズのような芳醇な香りと、強い旨味、さらりとした甘みのある脂が特徴。現在地での流通価格は、マール換算でおおよそ一千二百万マールです』
ステータスボードが淡々とハムの説明をする。価格の桁は間違っているようだけど、ランクSならそれほど悪い品ではなさそうだ。
「……こ、これがなにか?」
「アンタ、ちゃんと耳立てて聞いてた? これの市場価格は一千二百万マールよ、一千二百万! 一千二百マールじゃなく!」
「え? これ、ステータスボードが桁を間違えてるんですよね?」
「間違ってない! 間違ってないし、ほかも似たようなモンよ!」
「えええ……? これもですか?」
「それもこれもぜーーーんぶよ!」
僕が竜の骨を削った指輪を指差すと、ヒーゼリオフは大げさに両手を広げる。
「まったくこんなのポンポン出してきて、強盗が湧いても知らないんだからね!」
「は、はぁ……」
ヒーゼリオフは怒ったように腰に手を当てるけど、僕はまだなにかの間違いのような気がしていた。だってどれも特別な日に食べようと思っていた、とっておきではあるけど、一ヶ月熟成のとかは普通に食べてるし、小物も出来の良い物を厳選しているとはいえ、職人でもない僕が趣味で加工した品ばかり。一千二百万なんて言われても、額が額なこともあって、まるでピンとこない。
「えぇと、それで、どうしましょう?」
「いや、だから、ただオルを呼んだってだけで、こんなの受け取れないでしょ。なに考えてんのよ」
「で、でも、呼んでいただけなかったら死んでいたかもですし、今日だって知恵をもらえなかったらそのうち死ぬかもで……。それに故郷の司祭様も、命に値段はつけられないって言ってましたし……」
「そんな大げさ……ってわけじゃないのよね、アンタの場合……。うーん……。それじゃあ、これをもらうわ」
僕が食い下がるとヒーゼリオフは少し考えて、浮かせた品の中から銀色のブレスレットを受け取って左腕に嵌めた。ステータスボード曰く『魔銀骨の腕輪(大赤爪翼竜)』という品だ。価格はハムと同じくらい。受け取れないと言われるくらいだから、たぶん贈り物としての価値は十分なんだろう。
ようやくお礼をすることができて、ほっとしたけれど、ハムじゃなくて、というか食べ物じゃなくて良かったんだろうか? 僕はついついヒーゼリオフの腕に嵌った腕輪を見つめてしまう。
「な、なによ。今度は手放すのが惜しくなったの?」
「い、いえ、まさか。ただ素人の僕なんかが作った腕輪が選ばれるとは思わなくて……」
「え? これ、ててて、手作りなの!? う、嘘でしょ。ていうかどうやって加工したのよ!」
「えと……、それはこうやって爪で、がりがりっと……」
「つ、つめぇぇぇ!?」
宙を引っ掻いてみせると、ヒーゼリオフは声を裏返らせ、持っていた紙容器を握り潰す。中に入っていたフルーツの水分が勢いよく外に飛び出したけど、床に落ちる前に静止して再び容器に戻る。ヒーゼリオフは戻した液体をズゴーッと音をさせて飲み干し、深く息を吐いた。
「こほん。爪って、魔装の爪ね。ビックリしたわ」
「す、すみません。言葉が足りませんでしたね……」
「べ、別に考えたらわかることだし、構わないわ。ひ、ひょっとして爪の粉が残ってたりするかな~なんて考えたりしてないんだから、勘違いしないでよね!」
「あ、それは磨いたあと、スライムで拭いたりもしてるので、大丈夫ですよ」
「そ、そう……。まぁ、そうよね……」
ヒーゼリオフはなぜか残念そうに肩を落とした。
「ま、いいわ。任務行かなくて済む方法だったわよね」
「は、はい!」
「考えてはみたけど、やっぱりアンタをここに置いとかないといけない理由が必要になると思うわよ。あの新ダンジョンの攻略とか、ここを拠点にした、より重要な任務に就くみたいなね。ユミエールの発案じゃ、任務自体がなくなるなんてことは、ほぼあり得ないし」
「そ、そうなんですね……」
僕は改めてこの問題の困難さを自覚し身を縮めた。新ダンジョン攻略の案は僕も提案してみた、というか任務を言い渡されたときに思わず「素材は新ダンジョンから持ってくるんじゃダメですか?」と叫んでしまったのだけど、あっさり却下されてしまった。
「おほん。そこでだけど、アンタ、このヒー様に、教えを請う気はある?」
「え? そ、それはどういう……?」
「ユミエールが任務を撤回しないとしても、アンタを貸し出すかどうかの決定権はオルにあるでしょ。アンタが任務行きを拒否しないんだったら、そこをなんとかするしかないから、オルにとってアンタを任務に送るよりも魅力的なプランを提示してあげるってわけよ」
ヒーゼリオフは得意気に胸を張ったけど、僕には意味がよくわからない。
「……鈍いわね。極拳の魔王に直接稽古をつけてもらってる飼い犬と、よくわからないトコからよくわからない物を拾ってきた飼い犬なら、どっちのほうが飼い主として鼻が高いかって話よ」
「な、なるほど! で、でもそれって陛下に度々お時間を割いていただくことになるんじゃ……」
「そうよ。メッチャクチャに特別待遇なんだから、感謝してよね!」
「あ、ありがたいお話ですけど、ご迷惑では? それに、その、すっっっっっごくお高いですよね……? ぼ、僕、オルナダ様に飼われたコトで、すでに巨額の借金が……」
「そうね。普通はお金なんて、いくら積まれても断るけど、特別に稽古一回につき、手料理一回で手を打ってあげるわ」
「そ、そんなことで良いんですか!?」
思わず声が裏返る。普通の魔族にでも、なにかしてもらうには莫大な対価が必要だと聞くのに、魔王の名を持つヒーゼリオフに物を教わって、手料理一つで済むなんて、そんなことあって良いんだろうか? 僕がオルナダ様の飼い犬だから、それで僕の料理の価値が上がってるのか、それとも料理対決のときによほど気に入ってもらえたのか、どちらにしても、これ以上ないほどの破格の条件に、感激で胸がいっぱいになる。だけど同時に疑問が湧いた。
「ぼ、僕の手料理なんかで良いなら、ぜひお願いしたいですが、稽古というのは、具体的になにをするんでしょう? ま、まさか、憑依をするんでしょうか……?」
「そこは適当にもっともらしいコトやっとけば良いでしょ。やる気があるなら、八流拳とか教えても良いけど」
「い、いえ、ぜひ適当にもっともらしいことのほうでお願いします!」
オルナダ様の憑依を受けたあとの地獄の筋肉痛が脳裏を過ぎり、一瞬血の気が引いたけど、憑依をしなくて良い上に、学ぶのも武術でもなくて良いとわかり、僕はペコリと頭を下げた。
残る問題はオルナダ様を説得して任務を散り下げてもらうことだけど、それについてもヒーゼリオフが「上手いこと言っておいてあげる」と言ってくれた。おかげで胸のつかえが取れ、久しぶりに晴れやかな気持ちになった。耳としっぽも元気を取り戻し、ピンと立ち上がる。
「ホントはウチの犬みたいに、じっくり時間をかけて、手放せない存在になる~みたいな、小賢しい手を使うのが一番なんだろうけどね」
「え、陛下も飼い犬を……?」
「当然でしょ。魔族は最低でも二、三人は飼い犬を抱えてるモンよ。ウチのは腹立つヤツばっかりだから、今は休みを取らせてるけどね」
「そ、そうだったんですね。あの、ちなみに、腹が立つっていうのは……」
「うん? そうね、例えば、疲れてないって言ってるのに、無理やり休ませようとしてくるみたいなところかしら」
「え? 飼い犬なのにそんな強引なことするんですか?」
「そうなのよ、ムカつくでしょ! おかげでヒー様はヘトヘトなのに、全力で休憩を拒否せざるを得なくなっちゃうのよ!」
「え? え? そ、それはどういう……?」
オルナダ様と接する上での参考になればと聞いてみたけど、この話のどこにヒーゼリオフの怒りポイントがあったのかわからず、僕は目が白黒となった。
「だから、飼い主が飼い犬の言いなりになるわけにいかないでしょってことよ」
「えと……、つまり、差し出がましいことをするのは良くないと……?」
「そういうこと。ウチのはどいつもこいつも、そういうデリカシーがないのよね」
「べ、勉強になります……」
ステータスボードが教えてくれた付き人の基本では、主の望みをいち早く察知し指示される前に動くのが良い付き人とされていたけど、必ずしもそれが正しいわけではないらしい。デリカシーがどういうものなのかはわからないけど、ヒーゼリオフの口から延々と不満が垂れ流されるのを見るに、それがないのは相当不味いことのようだ。
僕はこんなに愚痴を言われるヒーゼリオフの飼い犬を気の毒に思いつつ、オルナダ様に不満を持たれてクビにされる場面を想像して背中が寒くなる。
「あ、あの、陛下の飼い犬さんたちなら、きっとそのうち、そのデリカシーというやつができるようになると思うので、あの、ク、クビにするのは……」
「なに言ってんのよ。クビになんてしたら、べらぼうな額の手切れ金を払うハメになるのよ? そんなのごめんだわ」
「そ、そういえば、そうでしたね……」
僕はオルナダ様と契約を結んだときに説明された、圧倒的に飼い犬側に有利な条件を思い出し、なんだか申し訳ないような気持ちになる。
「それに手放せないって言ったでしょ。デリカシーなくてムカつくけど、それなりに役には立つのよ、あの子たち」
ヒーゼリオフは困ったように肩を竦めて麦わらを吸った。口元にほんのり笑みを浮かべた、なんだか優しい表情だった。きっと飼い犬の人たちを、とても大事に思っているんだろう。たぶんこのヒーゼリオフという人は厳しいように見えて、実はすごく優しい人なのかもしれない。すぅっと肩から力が抜けてくる。
「……ちょっと、なにニヤニヤしてんのよ」
「へ? あ、いえ、その……、陛下が飼い犬の方たちを大事にされてるんだなって思ったら、なんだか嬉しくなってしまって……。えへへ……」
「べ、別にそんなの普通でしょ! 飼い主の義務よ、義務! し、仕方なくしてるだけで、可愛がってるとかじゃないんだから!」
「はい。そうですよね。えへへ……」
魔王の名を持つ人にこんな感想を持つのはおかしいのかもしれないけど、ほっぺたを膨らませるヒーゼリオフを僕は可愛らしく思った。自然と頬が緩んで、ゆらゆらとしっぽが揺れる。ヒーゼリオフは不服そうに眉を寄せて「このあとティクのトコ行くんでしょ、もうさっさと行っちゃいなさい」と手を払う。
「稽古の詳細は、オルと話が付いてから決めたら良いわ」
「はい! ありがとうございます!」
むくれたまま腰に手を当てるヒーゼリオフに頭を下げて、僕は持っていた容器の中身を麦わらで残らず吸い上げた。甘さと酸味が丁度いい冷えた飲み物が喉を通り抜け、悩み事が解決されつつあることも相まって、すごくサッパリとした気分になった。
「では陛下、失礼致します! あ、っと、その前にここ、降りないとですよね……」
立ち上がり、もう一度礼をして立ち去ろうとした僕は、下階へ続く階段を見て、ここが鐘塔のてっぺんであることを思い出す。
「なによ。下ろしてほしいわけ?」
「えと……、そ、そうではなくて……。その、あの、せ、僭越ながらエスコートをさせていただこうかと……」
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!?」
再び片膝をついて、手のひらを上に向けた左手を差し出すと、ヒーゼリオフが今日一番の大声を上げた。
「な、ななな、なんでよ!?」
「あわわわわわ……。す、すみません。階段では手を取って歩くと喜ばれると聞いたもので……。や、やっぱり、飛んだりできる方にこれは変でしたか!?」
「そ、そそそ、そうよ! だ、大体、アンタやヒー様なら、階段なんか歩かなくても、さっと飛び降りれば済むじゃないの!」
「はっ! た、確かに! えと、じゃあ……、し、失礼します!」
僕はバッとヒーゼリオフを抱え、ひょいと空中へ飛び出した。そのまま落下し、ズドンと地面に着地する。一応、腕の中のヒーゼリオフが怪我をしないよう衝撃は殺したけど、かなり品のない着地をしてしまった。
「な、なんで抱えて飛び降りてんのよ……」
「す、すみません、思わず……」
気まずさに目を伏せつつヒーゼリオフを下ろす。怒らせてしまったろうかと、横目に様子を窺うけど、ヒーゼリオフはそっぽを向いていて表情はわからない。そのまま無言で僕に持っていた容器を渡し「ティクのトコに行く前に捨てときなさい」と後ろ手に手を振って市場の方角へ消えた。
手を振ってくれるということは、たぶん怒ってはいないんだろう。僕は深々と頭を下げて、後ろ姿を見送り、二人分の容器をゴミ箱に捨ててから南側地区へと向かった。


第二十五話公開しました。

イラヴァールの街の感じとか描写したくて長めになってしまったのでもうちょっと削りたいパートです。

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