2023
3
Sep

百合小説

創作百合小説チート主人公ファンタジー「魔王の飼い犬」31


ハイエナ設定使用のオリジナルの百合小説です。
Kindleから出版している『ネコサマ魔王とタチワンコ』の続編で、第二十四話の続きになります。

第二十四話までのあらすじは以下のような感じです。

単身遠征をなんとか阻止したいフューリはシシィに相談し、ヒーゼリオフとティクトレアに相談する機会を作ってもらった。しかしそれは相談に乗るという名目でフューリとデートをするための時間であった。そんなこととは知らないフューリはヒーゼリオフと共にイラヴァールの市内を散策し、デートの終わりに有用な対策を約束してもらい、ティクトレアの元へ向かった。

【登場人物一覧】
フューリ:元狩人でオルナダの飼い犬。人狼とヒューマーのハーフ。
オルナダ:イラヴァールの国王的魔族。
シシィ:フューリの友人のヒューマー。
ガーティレイ:調査パーティメンバーのオーガ。
ルゥ:調査パーティメンバーの人兎。
ヴィオレッタ:調査パーティメンバーのダークエルフ。
キャサリーヌ:調査パーティの指導教官。オーガとエルフのハーフ。
ティクトレア:イラヴァール大臣的魔族。
ヒーゼリオフ:ランピャンのダンジョンマスターをしている魔族。
ケイシイ:ティクトレアの飼い犬をしているエルフ。
ユミエール:オルナダの右腕的エルフ。
ブゥプ:ユミエールの部下の人兎。

以下二十五話です。


【フューリ 二十】

思わずぎょっとして魔装が解けた。途端に蜜の中に落とされたかと思うほどの、激濃の魔香に襲われた。ぐわんっと頭が揺れる感覚を必死に抑えて、なんとか無事に着地すると、夥しい数の魔物の死体と大穴の向こうで、大蛇がずずんと地響きを上げて倒れるのが見えた。
「な、なんてことを……」
「一体なにがどうなってんだよ……」
「た、たぶん、スタンピードが起きたんでしゅ……」
凄惨な光景を前に、腕の中の二人は身体を震わせた。
僕も思わず「命が、もったいない」なんて呟いてしまう。
埋まっていた間に、地上がこんなことになっていたなんて。これじゃ救助なんて出せるわけがない。ミニナダ様が居なかったら全滅だったろう。
身震いしつつ、僕は二人を地面に下ろし、近くに転がっている頭の割れた猪っぽい熊の腹を割いて、拳より二回りほど大きい心臓に齧りついた。肝臓、腎臓、脾臓、喉の脇についている魔嚢と、目についた順に口に入れて、魔香酔いが収まるまで魔力を回復させた。
「くそぉ、私たちもあれで魔力回復できりゃあな……」
「本当でしゅね。ルゥもお肉で回復できたら、こんな踏まれて血まみれの草を食べなくていいでしゅのに……」
「え、ルゥもできんの?」
「大抵の獣人はできましゅよ。ルゥたち草食系の獣人は、摘みたての植物じゃないと回復できましぇんけど……」
「いやそれ、ヒューマーからしたら十分チートだからな……」
酔いが落ち着き顔を上げると、ルゥが根っこのような茶色い草を不味そうに齧る横で、シシィが渋い顔をしていた。見たところ二人共、脱出の際に怪我をしたりはしていなさそうだった。
ほっとした僕は、魔嚢の内側にこびりついていた魔石を削り取りつつ、改めて周囲の状況を確認する。
「規模はわからないけど、北、イラヴァールのほうに部隊がいるみたいだから合流しよう。それとそこの熊に魔石がついてたから食べて。大きすぎるようならもう少し砕くから」
「た、助かりましゅでしゅ!」
「ありがたいけど、適量どんくらいだ? 摂り過ぎると魔力系が損傷するんじゃなかったっけ?」
握り砕いた魔石を差し出すと、ルゥは齧っていた草を放り捨て、シシィは顎に拳を当てた。
『獣人は掌球、ヒューマーは小指の爪の半分が適量だな。確かに摂り過ぎは魔力系にダメージを与えるが、痛みや吐き気なんかが出るのは平均半日後だし、損傷する前に消費してしまえば、それもなくなる。状況的に三倍程度は摂っておいたほうが良いだろうな』
ミニナダ様が僕の手の上に乗って、シシィとルゥにおすすめのサイズの魔石を示し、二人はそれを飲み込んだ。これで二人の魔力は徐々に回復していくだろう。
僕はその様子を眺めつつ、オルナダ様もこの場にいるだろうかと匂いを探した。けれど、あの大蛇が放つ魔香と、一面に広がる血の臭いが強すぎて、まるで鼻が利かない。ひっきりなしに雷が鳴っているから居ないとは思うけど、この状況で安否を確認できないのは少し不安だった。
「あ、あの、ミニナダ様。オルナダ様がご無事かどうかってわかりますか?」
『いいや。さっきも言ったが俺はあくまでステボだからな、本体とリンクしてるわけじゃないんだ。だがまぁこの雷じゃ、ユミエールに対応を丸投げして、地下に引きこもっているんじゃないか』
「そ、そうですか! それなら安心ですね!」
「どこがだよ。こんなことになってんのにオル様行動不能とか、不安しかないだろ」
ぴんと耳を立たせた僕のお腹を、シシィが裏拳で小突いた。
『ともかく、お前らは早いとこ部隊と合流したほうが良いな。魔物の流出は止まっているようだが、さっきの大蛇が今にも起き上がるかもしれん』
「え。あの蛇、まだ生きてんの?」
「さっきボゴッて、すごい音してたでしゅけど……」
「あぁ……。手をつこうとしただけなんだけど、魔装使ってたから殴ったみたいになっちゃったんだよね……。でも大きいからたぶんまだ……」
ミニナダ様と僕の言葉に二人は見る間に青ざめて、「すぐに出発しよう!」と僕のお腹に飛びついた。さっき食べた熊の血でどろどろなのに、ガッチリと抱きついているところを見ると、二人共余程あの蛇が怖いらしい。確かにあの巨体に踏み潰されたら危ないし、ダンジョンを貫いた魔力柱の発生源である可能性もある。ミニナダ様の言う通り、早くここを離れたほうが良いだろう。
僕は血みどろの手をズボンで拭いて二人に腕を回すと「しっかり掴まっててね」と声をかけてから、北へ身体を向けた。すると地平線の向こうから、バーッという聞き慣れない物音と一緒に、四角い物体が近付いて来た。よく見ると四角の上は人兎が乗っていて「殿下あああああっっっ!!」と叫んでいる。
人兎がブゥプだということに気付いた僕は、ダッと四角に駆け寄った。
「お、お姉ちゃあああんっっっ!!」
「うおおおおお!! 無事だったか、いとこよっっっ!!」
合流すると、僕から飛び降りたルゥと、四角から飛び降りたブゥプが、再会の喜びを噛みしめるようにガッチリと抱き合った。
近くで見た四角は、金属製の筒でできた骨組みの下半分に、虫系魔物の殻をはめ込んだ箱のような形だった。箱の下側には大きくて太い、表面がボコボコした車輪が四つついていて、上の骨組みには雨除けと思われる布が張られていた。内側にある四つの椅子には、前側にケイシイとキャサリーヌが、後ろ側にガーティレイとヴィオレッタが座っていた。
「殿下、よくぞご無事で!」
「やはりお主らでしたわね」
ヴィオレッタとキャサリーヌが箱から降りて僕らに歩み寄る。
「教官! 迎えに来てくれたんすか!」
「いいえ。撤退する間の足止めのために、蛇に向かっていただけですわ」
「そ、そっすか……」
シシィは感激したあとで、カクンと項垂れた。
『それで、戦況はどんな具合なんだ?』
ミニナダ様がふわりと飛んで姿を見せると、みんな一斉にぎょっとした顔をする。
「あああああっっっ、へ、陛下ぁぁぁ!?」
「一体なにが起きたんですの……?」
「な、なんというお姿に……!!」
「どういうことだ? いくらなんでもチビ過ぎるだろう」
「そのサイズじゃせっかくの麗しい容姿がパワーダウンしちゃうっすね」
『バカ言え、俺の美しさは、なにがあろうと減ったりするものか。で? 状況はどうなんだ?』
「この場に駆けつけた部隊だけでは、第二波に対抗しきれず、押されている状態ですわ」
みんなが困惑する中、いち早く冷静になったキャサリーヌが、ふるふると首を振って残念そうに話し始めた。
なんでもダンジョンから溢れ出した魔物が、大挙してイラヴァール方向へ進行しているそうで、そのあまりの数に攻撃に入ることができず、やむなく防御を固めて後退することで被害を最小限に抑えている状態らしい。ここから五十キロほど北の前線基地まで下がって援軍と合流し、そこから攻勢に転換する予定なのだそうだ。
「魔物のほうは基地までたどり着けば十分対応できるでしょうが、引纏石蛇のほうはそうもいきませんので、せめて基地方向へ向かわないよう、このチームで誘導にやってきたというわけですわ。けれど、お主が無事なのであれば、無用の作戦でしたわね」
「その道中、殿下のあの一撃を目にし、急遽こちらへ馳せ参じたわけでございますが、まさか陛下もご一緒だったとは、本職は感激でありますっっっ!!」
「本当に見事な一撃でございました殿下。その上、陛下と合流されているとは。我は大変感銘を受けましてございます」
「ふん。死にぞこないの、へなちょこパンチだろうが。それよりオルナダ、貴様いつまでチビでいる気だ? さっさと元に戻らんか」
「そうですわね。オルナダが姿を見せれば兵の士気も……」
「あ、あのぅ、すみません……。実はこちらはオルナダ様ではなくミニナダ様で、その……」
みんながあまりにミニナダ様をオルナダ様だと思って話すので、僕は少し強引に話を遮った。
「どういうことですの?」
「え、えぇと……、そのMOPっていう……?」
「なんかオル様がフューリのステボに、自分の人格のコピーをプラスしたらしいっすよ」
「「「な、なにいいいいいっっっ!?」」」
うまく言葉が出ない僕に代わって、シシィが簡単な説明をすると、ブゥプとガーティレイとヴィオレッタが、ずいとミニナダ様に近付き、その姿をしげしげと眺めて、自分のステータスボードにもつけてほしいと羨ましがった。
「ち、ちょっと、みなさん! ご本人じゃないとしても不敬ですよ!」
「「はっ! も、申し訳ございません、つい……」」
「やかましい! 貴様ばかりズルいだろうが、私にもよこせ!」
「ダメですってば!」
たしなめるとブゥプとヴィオレッタはバッと頭を下げたけど、ガーティレイはミニナダ様を捕まえようと手を伸ばす。ミニナダ様はガーティレイとの間に立った僕の胸を文字通りすり抜けて、「俺に感情はないが、本体はお前のステボに俺を搭載したりしないだろうな」と笑って、触れないのに捕まえようとするガーティレイをからかうように空中で寝そべったポーズを取る。
その光景はみんなの笑いを誘って、僕も肩の力を抜くことができた。
「ミニナダ? 一つ聞きますが、お主はどのようにして動いておりますの?」
『ステボと同じだ。利用者の魔力でネットワークに繋がって動く』
「ネットワークを介してオルナダと繋がっている、という理解でよろしいんですの?」
『…………いいや。俺は独立した存在で、本体との繋がりはない』
「なんだ貴様、縮んだオルナダではないのか? ならばやはり、あの雷でくたばったのだな」
キャサリーヌが険しい顔で尋ね、ミニナダ様が答えると、ガーティレイがつまらなそうに腕を組んだ。
「え…………。あ、あの、すみません……。オ、オルナダ様は、今どちらに……?」
「知るものか。さっき雷に打たれて、どこぞへ消えたわ」
「は……?」
フンと鼻を鳴らしたガーティレイの言葉に、僕はドンッと上から降ってきた泥の山に全身を潰されたかのような感覚に襲われた。息が止まり、身体は重く、目の前は真っ暗になる。驚愕したシシィとルゥが目の前でガーティレイを問い質す声、ガーティレイが「言った通りだ」と面倒くさそうに二人をあしらう光景も遠く感じられて、まるで夢でも見ているようだった。
「どこへ行くつもりですの? お主には戦力になってもらわないと困りますのよ」
身体が勝手に走り出そうとしたところを、キャサリーヌに止められ、その場に押し倒された。罪人のようにうつ伏せに倒され、両腕を背中で拘束される。
「あ、あの……。離してください……。僕、オルナダ様を探しに行かないと……」
「頭を冷やしなさい。あの蛇が放つ魔力のせいで、獣人はみな鼻が効かなくなっておりますわ。お主もそうでしょう。そんな中、探知魔法も使えぬお主がいくら走り回ったところで、オルナダを見つけることなど不可能ですわ」
「そ、それは……、やってみないとわからな……」
「雷に打たれた魔族がどうなるか、知らないわけではないでしょう」
知らないわけじゃない。知らないわけじゃないけれど、そんなの嫌だ。
なんでもいいから、なにか反論しなくちゃ。そうじゃないと、この嫌な想像が現実になってしまう。
「諦めなさい」
もがきながら、否定する言葉を探す僕に、キャサリーヌはピシャリと告げた。
胸に、杭が打ち込まれたみたいだった。
キャサリーヌは倒れたまま動けなくなった僕の拘束を解いて、なにか諭すように言葉を続けたけど、まるで頭に入ってこない。
「申し訳ございません、殿下……。陛下は……、陛下は我々を守るため、あの大蛇に挑み、大蛇に落ちた雷にお打たれに……。本職がもっと上空を警戒していれば……」
「殿下……。我も陛下がお倒れになったとは認めたくありませぬが、どうかお気を確かに……。おい、シシィマール。なにか殿下をお慰めする方法はないのか?」
「そ、そう言われても……。オル様が死んだなんて聞かされたら、私もどうしていいか……。てかフューリ、言ってることわかるか? 聞こえてるよな?」
「フューしゃん、フューしゃん、しっかりしてくだしゃい……」
「おい。いつまで寝ている気だ。さっさと行くぞ、蛇狩りだ」
みんなが僕の周りに集まって、それぞれに声をかけてくれるけど、指先一つ動かせないくらいに全身が重くて、起き上がることができなかった。僕は黙ったまま、大粒の雨が目の前の地面に衝突して砕けるさまを眺めた。
「弱りましたわね。フューリには蛇の誘導に加わってほしかったのですが……。仕方がありませんわ、ガーティレイ、シシィマール。フューリを連れて部隊に合流し、基地まで下がりなさい。到着後は現地指揮官の指揮下に入るように」
「なんだと、ふざけるな! 私は蛇を殺るというから来たのだぞ!」
「あの蛇相手にお主ができるのは、せいぜい投擲くらいのものでしょう。そもそもお主は盾役として連れてきたのですのよ?」
「私の投擲は大砲だぞ! 盾なぞ、このクソ犬にでも持たせておけば良い!」
ガーティレイが僕の頭をむんずと掴んで、キャサリーヌに突きつけた。
キャサリーヌはふぅと息を吐いて、「これほど消沈していては、戦場に立つことなどできませんわ」と首を振る。
するとガーティレイはパッと頭を掴む手を放して、ドンと僕のお腹を蹴り飛ばした。僕の身体はみんなが乗ってきた乗り物に叩きつけられ、中にいたケイシイが「ぎゃあ」と悲鳴を上げた。
「ふん。確かに使い物にならなそうだな」
「ちょ、ガーさん!?」
「貴様なにを!! 気でも触れたか!?」
「やかましい。使えるかどうか試しただけだろうが」
シシィやヴィオレッタが非難の声を上げたけど、ガーティレイは平然として、悪びれる様子もない。
「ふん。こんなときに揃って役に立たんとは。飼い主が飼い主なら、犬も犬だな」
瞬間、ぎゅんと頭に血が上った。
ルゥがふらりと倒れて、それを支えるシシィとヴィオレッタが目を見開いて、こっちを見た。
「な、なんだ? やる気か?」
のしのしと地面を踏みしめて近付くと、ガーティレイは手を鉤爪のようにして構える。僕はガーティレイをまっすぐに睨んだまま、ぎゅっと拳を握った。
「およしなさい、フューリ。怒りをぶつけるべき相手はほかにおりますでしょう」
ぽんっと僕の鎖骨の下に鞘を当てたキャサリーヌが、ついとその鞘の先を空に向けて静かに諭した。鞘の向く先には再び首をもたげようとする大蛇の姿があった。
「げえええええ!? ま、また起きやがった!! じゃ、ボクちゃんはこの辺で失礼しますねぇ~」
「ヴィオレッタ。逃走阻止」
「承知!」
「ちょ、ボクは戦闘向きじゃないんすから、勘弁してくださいよぉ。大体あんなのほっとけば良いじゃないっすか。嵐が止んだらティッキーか、ヒー様か、オル様がひょこっと現れて、ちゃちゃっと倒してくれますって。だからもう逃げましょ。ね?」
「バカなことを……。ヒーゼリオフはともかく、ティクトレアは蛇に食われ、オルナダは落雷に打ち落されましたのよ?」
「お言葉ですけどねぇ閣下。あんな化け物じみた種族が、あのくらいでくたばると本気で思ってるんすか?」
ケイシイは普段と変わらない、へらへらとした態度で肩を竦める。キャサリーヌの話では、ティクトレアも死んでいてもおかしくなさそうなのに、二人の生存を確信しているようだった。
「ケ、ケイシイさん! オルナダ様は、オルナダ様はご無事なんでしょうか!?」
「どわっ! か、噛みつきそうな勢いで寄って来ないでほしいなぁ」
バッと乗り物に飛び乗り、両手で胸ぐらを掴むと、ケイシイはたじろぎ苦笑いを浮かべた。
「どうなんですか! 答えてください!」
「ボボボボボ、ボクは無事だと思うっすけど、あくまで意見なんで! てかボクよりそっちのちっこいオル様に聞いほうが良いんじゃないっすか!?」
揺するとケイシイが僕の隣を指差したので、ぐるんと視線をミニナダ様に向ける。ミニナダ様は「ふーむ」と考え込んでいるみたいにくるくると飛び回り、それからピタリと静止して、僕に向き直る。
『答える前に聞こう。フューリ、今はどういう状況だ?』
「え……。えと、オルナダ様が行方不明で、スタンピードが起きてて、大きい蛇がいて、嵐が来ています……」
『なら今、お前が本体の飼い犬としてすべきことはなんだ? 本体がこの場にいたら、なにを命じると思う?』
「オ、オルナダ様の救出です!」
『違う。本当に本体がそんなことを命じると思うのか?』
「だ、だって、雷が鳴っていますし……、きっとすぐに助けろとおっしゃるかと……」
『雷のことは忘れろ』
「で、でも現に今……」
ミニナダ様は「わかっているだろう?」とでもいうような、有無を言わせない強い視線で僕を見つめる。
「……あの蛇を狩って来いとおっしゃると思います」
『ならそうしろ。飼い犬として、主がすべきだった務めを果たせ。厄災から民を守るんだ』
絞り出すように答えると、ミニナダ様はくいと親指を後ろ向けて、鼻先を地面につけて起き上がろうともがく大蛇を指す。
『生きていようと死んでいようと、ここでアレに背を向けたお前を、本体が褒めることはないぞ』
それはわかる。わかるけれど、とてもできない。
オルナダ様がいなくなったら、僕はまた、孤独に飲まれてしまう。あの泥のように纏わりつく、息苦しい闇の世界に。
そう思うと、頭がぐわんぐわんと揺れて、なにかに引っ張られているみたいに胸が重くなる。戦うどころかもう、立ち上がることさえできる気がしない。「でも僕はオルナダ様の飼い犬なんだから、ミニナダ様の言う通り、あの蛇をなんとかしなくちゃ」と自分に言い聞かせてみるものの、雨粒と同じくらいの大きさの涙がボロボロボロボロと溢れて、縮こまっていないと倒れてしまいそうだ。
「ぐえええええ……。ちょ、ギブギブギブギブ……ッ」
ぎゅうと全身に力を入れると、ケイシイが胸ぐらを掴みっぱなしだった僕の両手をぺしぺしとタップした。「すみません」と小さく言って手を下ろすと、ケイシイは「勘弁してほしいっすよ」と大げさに咽て座席に倒れる。
「はー、またくもう。そんなにパワーが有り余ってるなら、ちゃちゃっとあの蛇倒して、中のティッキーを助け出してくんないっすかね。もうボクちゃん疲れちゃったんで、早く帰りたいんすよ」
喉元をさすりつつ、ケイシイは軽口を叩く。
無性に、腹がたった。
「…………ケイシイさんは、どうしてそんなにヘラヘラしていられるんですか?」
口が勝手に、低く、呻くように言葉を吐き出す。
「ティクトレア閣下が、自分の飼い主が食べられたんですよね? 死んでしまったかもしれないんですよ? 心配じゃないんですか? 僕は、僕はもう不安で、狂ってしまいたいくらいなのにどうして……」
「そりゃティッキーは死んでないっすからね」
「そんなのわからないじゃないですか!!」
ガンッと拳を叩きつけた膝が、涙でぐにゃぐにゃに歪む。
ケイシイに噛み付くのは筋違いだということも、攻撃的になってはいけないこともわかっているのに、暴れまわりたい衝動がふつふつと湧き上がってくる。なんとか抑え込もうと、自分をように腕を回し、両肩に血が滲むほど強く爪を立てると、ケイシイは相変わらずの軽薄な口調で「まぁまぁ、落ち着きなさいって」と僕の靴を叩く。
「飼い犬と飼い主はうっすら魔力でリンクするんで、ピンチなときは直感でわかるようになるんすよ。ま、虫の知らせってヤツっすね。それがないんで、ティッキーは大丈夫。全然問題なしっす」
ケイシイは余裕のある表情で人差し指を振る。そうしてそれを僕のほうへと向けて、
「フューくんだって、オル様がマジでピンチだったら、ちょっとはなにか感じると思うんすけど、そんなのなかったんすよね?」
と問いかける。
オルナダ様が雷に打たれたのは、僕らはまだ埋まっていたときだろうけど、確かにそういうものを感じた覚えはない。僕はまだオルナダ様の飼い犬になって日が浅いし、そんな能力が備わっているのかは疑問だけど、もしケイシイの言う通りなら、
「オルナダ様は、無事……?」
可能性があるという程度の話だけれど、口に出すと本当に無事でいてくれるような気がした。
「まぁ、もし仮に死んでたとしても、ティッキーが無事なら蘇生できるっすよ」
「ほ、本当ですか!?」
「ちなみにティッキーは、あれの腹の中ね」
「ぼ、僕ちょっと行ってきます!」
「「待て待て待て待て。どこに行く気」だ?」ですの?」
乗り物を降りて大蛇に向かい走ろうとする僕を、ミニナダ様とキャサリーヌが止める。
「え、あ、その、さっきミニナダ様に言われた通り、蛇を狩りに行こうかと……」
「じゃあ蛇はフューリ殿下にお任せってことで、ボクは失礼しますね~」
「逃しませんわよ、ケイシイ」
キャサリーヌは僕を止めると、今度はケイシイの首根っこを捕まえ、乗り物から引きずり出す。
『フューリ、少し落ち着け。お前一人であれをどうこうできると思うのか?』
「わ、わからないですけど、行かないとティクトレア閣下を助けられません」
『だから落ち着けと言っているだろう。今ここには剣聖と大魔道士、お前のパーティメンバーに、移動の足まであるんだ。チームで動いたほうが良い』
「で、でもあんなのに近付いたら、みんなが危な……」
言いかけて僕はハッとなった。
攻撃を加えれば当然、蛇は暴れる。あの大きさで滅茶苦茶に身体をくねらせられたら、付近一帯がぺしゃんこになってしまう。かといって一撃で頭を落とすなんて無理だし、蛇はたとえ頭を切り落としても、しばらく動き続ける生き物だ。うかつに手を出したら危ない。ティクトレアが中にいるという話だし、攻撃するにも場所を選ぶ必要がある。
「……落ち着いたようですわね」
『やるじゃないか』
「どーも。ご褒美お待ちしてます」
考え込んでいると、キャサリーヌが掴んでいた腕を放してくれて、ミニナダ様はどういうわけかケイシイを褒めた。
『さて、これでフューリも動けそうだが、どう出る、キャサリーヌ』
「東に向かっていますから、ひとまず手を出さずに様子を見るのが得策でしょうが……」
「なに!? 腑抜けたことをほざくな、老いぼれが! 今すぐ突撃するべきだろうが!」
「そ、そうです! 早く行かないとティクトレア閣下が消化されてしまいますよ!」
「我も陛下や閣下がご存命とあらば、救出に向かうべきと考えます」
「ル、ルゥもそう思いましゅ!」
「役に立つ自信はないですけど、私も」
「よくぞ言った、貴様らっっっ! 閣下、本職も救出に一票を投じまする!」
「……ということですので、そちらの方向で作戦を立てるべきでしょうね」
『ふふん。中々人望が厚いじゃないか。さすがは俺の本体ってところだな』
みんなの意見とキャサリーヌの決定を聞き、ミニナダ様は満足そうに頷いた。ケイシイは小さく「あ、ボクは撤退に一票を……」と手を上げたけど、誰も反応を返さないのをみて諦めたように手を引っ込めた。
「さて、救出するとは言ったものの、相手は大型竜級のデカブツ、こちらは半数以上が新人の急造パーティで、大型兵器もなし。どう戦ったものか。意見を募りたいですわね」
「ふん、しれたことを。魔法使い共が砲弾を生成し、私が投げ……」
「なにかで身体を固定して、頭を潰すか、首を切り落としましょう」
僕はガーティレイの発言を遮り、作戦を提案する。ガーティレイは反発してきたけど、構わずあの蛇が暴れた場合の危険性、仕留めても動き続ける可能性を早口に捲し立てた。
「蛇は身の危険を感じると、胃の中のものを吐き出して逃げる習性がありますから、仮に仕留められなくても、ある程度攻撃を加えれば、閣下を救出することはできるかもしれません」
『ふむ。さすがは狩人だな。悪くないと思うがどうだ、キャサリーヌ』
「良いでしょう、フューリの案でいきますわ。ブゥプ、アレを打ち付けられるサイズと強度の杭を生成できまして?」
「く、杭!? 失礼ながら教官、そのようなもので蛇を貫いては、中にいる閣下が危険ではないでしょうか?」
キャサリーヌの決定に、ヴィオレッタが控えめに反対した。
『あれを固定するなら杭しかないだろ。ロープや鎖を生成したのでは無駄に魔力を消耗する。確かに当たるかもしれないが、そのときはそのときだ』
「あ、いえ、蛇の胃は身体の半分くらいの位置まで長く伸びているので、打ち込む部位を頭と下半身に限定すれば、大丈夫なはずです」
ミニナダ様がとんでもないことを言い出したので、僕は慌てて攻撃部位についての進言をした。ヴィオレッタは「なるほど、承知いたしました」と頷き、キャサリーヌは改めてブゥプに杭の生成を指示した。
ブゥプは足元に黄色い巨大な魔法陣を描き、その中央から先端に返しがついた五メートルほどの杭を作り出す。くすんだ黄金色の杭は、いかにも金属らしい光沢があって、相当な強度であることが窺えた。
「重量からして、これを扱えるのはワシ、ブゥプ、フューリ、ガーティレイの四人だけですわね」
『四班に分かれたほうが効率が良いな。フューリ、編成を考えてみろ』
「え? で、でも僕、ケイシイさんとブゥプさんの性能をよく知らないので……」
「あ、ボクは数に入れないで」
「ワシとフューリは単独、残りはブゥプ、ルゥ、ヴィオレッタの魔法隊と、ガーティレイ、ケイシイ、シシィマールの物理隊に分かれる、というのが妥当なところでしょう」
「おい! なぜこいつが単独で、私が三人班なのだ!」
キャサリーヌが編成を決めると、早速ガーティレイが噛み付く。
『そりゃお前は、この杭を持ち上げたり投げたり打ち込んだりはできるが、抱えて早く走れはしないからな』
「ケイシイのビークルならその点をカバーできますわ。シシィマールは他班と連携を取りつつ、二人を上手くお使いなさい」
「いやだから、ボクちゃんを数に……」
「なんだと!? なぜこの私がヒューマーに指図されねばならんのだ!」
理由を説明されるとガーティレイはますます声を荒げる。けれどシシィが「あー、ガーさん、違うんすよ」とキャサリーヌに掴みかかろうとするガーティレイを制して、
「教官は、通信やら状況判断やらの雑用を私に任せて、ガーさんには杭を打ち込むっていう最重要課題に集中してほしいって言ってるだけっすから。些末なことは私に任せて、ドンと構えといてください」
と宥めた。
ガーティレイは「ならば始めからそう言えば良いのだ」と得意顔で胸を張る。続いてシシィは「ボクは足になんてなりませんからね!」と騒ぐケイシイのことも、「うるせぇ。働かねぇとティク様助けたあとで、逃げようとしてたことチクるぞ」と脅して、あっという間に主導権を握った。
「ブゥプ班は指示は必要ありませんわね?」
「はっっっ! 本職が飛行魔法で杭を運搬っっっ! 二人は打ち込み時の補佐、および、盾役でありまっっっす!」
ブゥプが答えると、ルゥとヴィオレッタが頷き、キャサリーヌは「では全員ステボの念話をオープンチャンネルにお合わせなさい」と大蛇のほうを向いた。
「ひとまずワシとフューリが先行しますわ。お主らはワシが尾を打ち抜いた後に、適当な位置にお打ちなさい。フューリは三本打ち込み終わるまでは、頭の注意を引きつけておくように。よろしいですわね?」
指示を出したキャサリーヌは、ブゥプが追加生成した杭の一つを担ぎ上げ、ダッと大蛇に向かい駆け出す。僕もそれに倣う。
後ろで「あれほど苦手であられた蛇に怯みもしないとは、殿下は飼い犬の鏡で有らせられる」と感動するヴィオレッタに、シシィが「あいつが苦手なのは蛇の群れなんで、単体は平気なんすよ」とつっこむのが聞こえた。
『フューリ、頭に着き次第、連絡なさい。ワシはこれを打ち込み次第、全体の援護に入りますわ』
『り、了解です』
念話を返しつつ、僕はタッと空中へ跳び上がり、足元に魔力板を作って、蠢く大蛇に近付いていく。
大蛇はさっきまでと変わらず地面に鼻をつけていたけれど、よく見ると起き上がろうともがいているというよりは、かゆみから顔をこすりつけているようだった。まさかと思い魔力板を渡って正面に回り込むと、黒く焦げた皮が鼻先からべろりとめくれ上がり、下から真っ白な鱗が現れ始めていた。
『どうした、フューリ?』
「だ、脱皮です。マズイかもしれません。蛇系の魔物は、脱皮後に身体が倍の大きさになることもあるので……」
『そりゃマズイな。おい、キャサリーヌ。フューリが現着したが、蛇に脱皮の兆候があるぞ』
『急がなくてはなりませんわね。フューリ、合図と同時に頭を攻撃し、注意をお引きなさい。ワシはコイツを打ち込みますわ』
『り、了解です!』
念話で指示を受けた僕は、大蛇がこちらに気付いていないことを確かめつつ、念の為、頭から百メートルほど距離を開け、足元の魔力板を大きく広げて、抱えていた杭を置いた。
地面を走っていたときに拾っておいた、拳大の石を一つ、ポケットから取り出し合図を待つ。
遠く、大蛇の尾の先に、キャサリーヌが生成した赤い魔力板がチラチラと光る。
『今ですわ!』
僕は全身に魔力を巡らせ、大蛇の目に石を投げつけた。
大蛇の額に不規則に並んだ赤い目の一つが弾けるのと同時に、キャサリーヌが杭を打ち込むのが見えた。


洗われる犬ってカワイイですよね。猫も。

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